腹上死して生まれ変わってタイ人に119話
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第119話 工場長就任
2012年7月。
洪水対策のために1年間働いてもらった臨時雇いの作業員を雇用期間満了に伴い、全員解雇した。
正社員には一律20万バーツのボーナスを払ったが、臨時雇いの作業員には一切ボーナスを渡していない。
何人かの社員からコイツは優秀だからと臨時雇いの作業員を正規雇用にと推薦されたが、俺は全く採用しなかった。
俺のこの処置に対してメンテナンススタッフを中心に非難の声があった。
気持ちは分かる。
しかし俺は冷酷に対応した。
というのもこれまで右肩上がりに増えていた自動車の販売台数も減少に転じ、設備投資も減少している。
さらに今後泥沼化する反政府デモや洪水の影響でタイへの投資も減少する。
これからしばらく厳しい経営が続くタイ工場では余計な出費は避け、人員も最小限にしなければならない。
洪水復旧の際のスピード重視のドンブリ勘定だった体制を引き締めてるため、俺は製造部長として作業の効率化と経費削減を進めるのだった。
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2015年4月。
タイ工場の製造部長として3年間、洪水復旧対策を指揮し、その後売り上げ減少傾向にも関わらず利益を維持し続けた事を評価され、俺はタイ工場の工場長に昇格した。
海外の工場とは言え、この会社で40歳での工場長就任は前例が無い。
前世で日本人のユウイチであった頃からの悲願。タイ工場長に就任し俺は感無量であった。
俺が工場長になってから、たびたび背後で殺気のようなものを感じるようになった。
振り返ってみると【ユウイチ】が俺のことを刺すような視線で睨んでいる。
確かに【ユウイチ】にとってはタイ人の俺が工場長になるのは気に入らないと思う。
タイ工場のために寝る間を惜しんで働いている俺。
下請けからリベートを巻き上げて接待の要求。
寝る間を惜しんで遊びつつ他人の妨害しかしないヤツ。
俺と待遇が違って当たり前だ。
俺が製造部長の頃から執拗に続けられた計装グループリーダーである【ユウイチ】の細かな妨害行為は工場長になってからは無くなった。
直接的な妨害が無くなったのに感じる殺気。
不気味な物を感じる。
俺はそろそろ村上専務に頼んで【ユウイチ】をインドに転勤させようかと思っていた頃・・・・。
逆にヤツに先制攻撃をされてしまった。