帰国したタイの変な日本人

バービアを愛した中年デブの元タイ沈没者がタイを想ってタイを舞台にした小説のようなものを書いてます。

腹上死して生まれ変わってタイ人に104話


「ごめんね。仕事が忙しくてほとんど相手が出来なくて」


「あっ い、いいよ別に。 運転手さんが見てるから・・・ちょっ  ちょっとやめて」



第1話はこちらから
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■




第104話 ナムワーンと帰省



2006年4月のソンクラーン休暇中。
両親に結婚の報告と、6月11日の結婚式への参加をお願いするためにロイエットに向かった。


アットのタイ再赴任では待遇も飛躍的に向上した。
会社支給の高級コンドミニアム
運転手付きのカムリ。

今、そのカムリの後部座席でナムワーンと一緒にロイエットに向かっている。
暇なのでナムワーンのブラジャーのホックを外して、そのまま背中越しに手を突っ込んでおっぱいを揉んでいるところだ。


◇◇◇◇◇◇◇◇


ロイエットに帰るのは実に8年振り。
両親は俺の携帯電話番号を知らないし、俺も両親への連絡先も知らないので8年間ずっと音信不通だった。

しかし毎年ソンクラーン前には1万バーツの送金していたので怒鳴られることは無いだろう。
たとえ怒っていても、あの両親ならすべて金で解決出来る。



◇◇◇◇◇◇◇◇



ロイエットの両親はこの8年ですっかり老け込んでいた。
60歳前ぐらいだと思うが、数人の孫の面倒をみる母親は「おばあさん」という印象だった。

いきなりの俺とナムワーンの来訪に驚いた両親。
すかさず俺は10万バーツの札束を俺の手元に置いて話を始める。

これから俺の言う事に素直に従うなら差し上げますよと言う準備だ。
こいつらには現ナマを置いて話をするのが手っ取り早い。



これまで忙しくて帰れなかったことに謝り、ナムワーンとの結婚を報告した。
6月10日の早朝にマイクロバスを手配するので何人でも乗れるだけ乗り込んで結婚式会場に来てほしいと告げた。



両親はずっと俺の手元の10万バーツの札束が気になってしかたがないので俺の話には「良かったね」「絶対に行くよ」と適当な対応をしている。

明日はナムワーンの家に挨拶にいくからロイエットは今晩限りというところまで納得させてから10万バーツの札束を渡した。


その晩は大量のビールと豚をまるごと2頭買って来ての宴会だ。

エンドレスの宴会にウンザリしながらも、今回で最後だと思いたいロイエット帰省を成功裏に済ませた。



◇◇◇◇◇◇◇◇



翌日はナムワーンの実家へ。
ナムワーンの実家はロイエットの隣のカラシンにある。

ナムワーンの実家は俺の実家に負けないほどのボロ屋で、ボロ屋にナムワーンの両親とお姉さん夫婦と3人の子供、妹とその旦那と子供という大家族だった。


ここでナムワーンが希望した結納式が行われる。
結婚式はバンコクで行うが、結納式(マン)はぜひともカラシンの実家でしたいというナムワーンの希望を尊重した。

本来なら俺の家族も同席させるべきだったが、面倒なので俺一人での参加となった。


バナナの葉っぱと花で作った祭壇の前に結納金30万バーツと金のネックレスなど重量9バーツの金を並べる。


結納金に関しては見栄を張りたいナムワーンの希望により相場の3倍以上となった。

ナムワーンの実家では結婚バブルによって一気に3年分の年収に相当する大金が手に入った。
しかしこいつらは馬鹿なので、お金の有効活用が全く出来ないと思う。
だから今後の生活が余計に苦しくなるような金の使い方しか出来ないと思う。

車を買うとか。
仕事を辞めるとか。

田舎のタイ人に与える大金はある意味「凶器」だから。



ロイエットとカラシンの実家訪問を手短に済ませてバンコクに戻った。


◇◇◇◇◇◇◇◇


忙しさのあまり大事なことを忘れていた。
4か月後の2006年9月に起きる軍事クーデターのことを。


第1話はこちらから