帰国したタイの変な日本人

バービアを愛した中年デブの元タイ沈没者がタイを想ってタイを舞台にした小説のようなものを書いてます。

腹上死して生まれ変わってタイ人に103話

飛行機のシートに深く腰掛けながらこれからの事を考える。

前世の経験があるので機械グループリーダーは勤まると思う。

しかし前世の俺であるあの【ユウイチ】とどう接するべきか・・・。



第1話はこちらから
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第103話 ふたたびタイへ


 
2006年4月。
俺は3年ぶりにタイに戻ってきた。
今回は日本からの駐在員としての待遇で、しかも機械グループリーダーとして。
 


機械グループリーダーは機械の材料加工・組立の工程を統括するポジションで、タイ工場では工場長、製造部長に次ぐ序列第3位。

工場長、製造部長が不在の場合は工場全体を管理しなければならない。


前世では計装グループリーダーだったので仕事の進め方には不安は無い。

ただ元の同僚のタイ人達は急に待遇が変わった俺の指示を聞いてくれるのだろうか?



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機械グループリーダーの業務は想像以上にハードだった。

本社の製造本部へ日々の報告書や、本社からメールでの指摘や質問への解答などの仕事が多すぎる。

本社からの重箱の隅をつつくような細かい指摘にウンザリしながらも素早く的確な対応をしなければならない。
変な回答をすればすぐに国際電話がかかって来る。

製造現場でも限られた工作機械を効率的に動かしているか注意して見ていないとすぐに部品が足りなくなってしまう。


元同僚のタイ人達からの嫉妬もどうでも良くなるほど忙しい。

計装グループにいる【ユウイチ】とも今のところ接点がない。
とりあえず挨拶はするが、積極的に話しかけることも無かった。

 

しかしたまに【ユウイチ】から刺すような視線を感じるのであまり良くは思われていないのであろう。

入社年度が同じなのに俺は初級幹部3級。ヤツは1級。
「タイ人のくせに」と俺でも嫉妬していたと思う。

 


そんな【ユウイチ】の嫉妬を気にしているヒマなど今の俺には無かった。
 

新工場のチョンブリ工場の建設が去年の末に完成し、タイ工場ナンバー2の佐藤製造部長はチョンブリ工場の立ち上げが忙しく本社工場にはほとんど来ない。

 
本社工場長兼タイ法人社長である村上工場長も東南アジアにある各国の工場を統括する東南アジア統括本部長も兼任している。
村上工場長がタイ工場に来るのは月の半分ぐらい。

タイ工場のトップ二人が不在なことが多いので俺の負担がさらに増える。
 
 
毎日行われる16時の幹部会議で村上工場長や佐藤製造部長がいない日は俺が決裁者になってしまう。

5年前まで単なる通訳として出席していた俺がいきなり決裁者だと?
この4200万バーツの見積りを俺が承認して俺がサインしろと?
 
「ふざけるな」と言いたいぐらいだ。

 



ということで、【ユウイチ】や元同僚の事を全く気にする余裕すら無い。
 



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タイ赴任からあっという間に2週間が過ぎて行った。
 
忙しさのあまり、6月11日の結婚式の準備を全くしていなかった。
というかナムワーンとも打合せすら出来ていない。
 
ソンクラーン休みに実家のロイエットに帰って両親に結婚の報告と結婚式の出席をお願いしないと・・・。
 
ナムワーンともタイに戻ってからまだ会っていない。ロイエットに行く車の中で話をするか・・・。