帰国したタイの変な日本人

バービアを愛した中年デブの元タイ沈没者がタイを想ってタイを舞台にした小説のようなものを書いてます。

腹上死して生まれ変わってタイ人に47話

生産機械メーカーのタイ法人に勤務するユウイチは泥酔しながらも若いゴーゴー嬢をホテルに連れ込み行為の最中に突然死してしまう。

死んだはずのユウイチは目覚めたとき、タイ人中学生の【アット】になっていた。

第1話はこちらから
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第47話 バンコクでの就職活動 



「アット!こんなホテルに泊まって良いの?」


1997年2月。
就職活動のためのバンコクでの3日間はスクンビット通りにあるクイーンズパークホテルに滞在することにした。
アットに転生してから約8年、過酷な住環境を強いられてきた。
最近は少しマシなアパートに引っ越したが、これまで良く我慢出来たと思う。

自分へのご褒美として2晩ほどホテルに滞在することにした。

ナムワーンはカラオケ嬢として客に連れ出されて近くのモンティエンホテルやドゥシタニホテルに行った経験があるのでそれほど驚かないと思ったが、今回のホテル宿泊にノリノリであった。




早速俺はバスタブにお湯を溜め、お風呂を楽しむ。
別府でも温泉は満喫できたが、今回はある作戦のためバスタブのあるホテルに泊まったのだ。


ナムワーンを風呂場に呼び、熱いと嫌がるナムワーンを強引に湯船に入れる。

ナムワーンを俺に背中を向けた状態で湯船に座らせて、湯船の中で後ろから胸を揉む。
湯船にシャンプーを入れて泡立たせて、後ろからナムワーンの色んな場所を洗ってやった。

ナムワーンを向かい合わせに座らせてからおっぱいを揉む。
さらにナムワーンを俺の股の上に座らせてから生のままで挿入すると、シャンプーのせいでスルッと入った。

座位で上になったナムワーンが腰を動かさないように腰に手を回してロックしつつディープキスを続けた。
腰を動かしていないのに俺はイキそうになり、抜いてから湯船を出て泡が体についたままのナムワーンにパイずりさせる。

立った状態の俺に対して膝立ちになってパイずりをするナムワーン。
俺はすぐに気持ちよくなってナムワーンの顔面に発射した。



俺はこれまでやりたかったプレイを達成し、ホテル代以上の満足間を得た。



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2日後。
俺はラマ9通りにある機械製造会社で面接を受けた。


まずはタイ人マネージャーによる面接。
俺が前世で働いたときに知っているタイ人は面接官にはいなかった。

タイ人との面接には自信満々に、少し誇張して答えるのがポイントだ。

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コンケン大学の機械工学科で学び、機械メーカーで働くことを目標に機械力学の研究室で機械設計を卒業研究の課題にし、最近普及し始めているAUTOCADの操作もマスターした。

電気工学の講義にも積極的に参加して、シーケンサーや電子制御にも十分な知識がある。

日本に留学経験があるので日本語が話せるが、通訳ではなく新人エンジニアとして御社の優秀なエンジニアの方々の手足となって働きながら経験を積んで活躍させてほしい。
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俺は30分ほどの面接で答えた内容を要約するとんな感じ。



15分の休憩後、日本人による面接が始まった。

日本人による面接は、説明会で最初の面接をした若い事務系の日本人男性梶山さん、タイ法人の社長、事務系の副社長、生産部長の4名。

社長と副社長は見たことの無い人であったが、生産部長と紹介された村上さんは知っている。
俺が前世でタイに赴任した時のタイの現地法人社長だ。

この人は松下幸之助マニアで、いつも松下幸之助の名言を例に出して話をする人だった。

おかげで俺は松下幸之助の名言を今でもいくつか覚えている。




梶山さんに促され、俺は自己紹介を始めた。

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私の名前はアットポン シーチャッカーン 22歳です。
タイの東北部のロイエット出身でコンケン大学の機械工学科を卒業予定です。機械設計の研究室で自立式ロボットの設計と試作を卒業研究の課題にしました。

コンケン大学付属中学在学中に10か月間大分県別府青山高校に交換留学生として留学したのと、留学以前にもロイエット在住の海外協力隊員の日本人から日本語を3年間学んだおかげで日本語を習得しました。

趣味は書道で、別府青山高校在学中には社会人の楷書の部の初段を取得しました。

日本語に自信はありますが、通訳としてではなくエンジニアとして採用していただけるなら厳しく指導していただきたいとす。
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つづけて梶山さんが質問する。

「どうして弊社に入社しようと思ったのですか?」


「今タイは製造業を中心に発展しようとしています。
私は御社のような技術力の高い会社で学び、良い生産機械を作ってタイの製造業に貢献したいと思い応募させていただきました。」


続いて村上生産部長が質問する。

「最近の大学出のタイ人はエアコンの効いた部屋にばかりいて現場に出ないらしいが、ウチでは現場に出てもらうけどいいか?」



「日本で読んだ松下幸之助様の本で【まず汗を出せ。汗の中から知恵を出せ。それが出来ないものは去れ。】とありました。
現場で一生懸命に汗を流して働く人にしかチャンスは無いと思います。だから喜んで現場で汗を流したいです。」



村上部長の良く言うフレーズを知らないはずの俺の口から聞いた3人は顔を見合わせて笑う。


「この子は村上さんに弟子入り決定だね。」


社長からそう言われ、その後も和やかに面接が進んだ。
最後に聞かれた希望給料については、「御社の規定でお願いいたします。」と答えた。

面接の感触からは採用は間違いないと確信した。




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2時間ほど待たされてから1997年4月1日の入社が決定した。

基本給9,000バーツ+日本語手当5,000バーツ 合計14,000バーツが俺の初任給である。


日本語検定1級があれば通訳として2万バーツ以上の給料を得る機会もあるのだが、あくまで機械エンジニアとして働きたかった。
通訳をしていても給料の上限は決まっているし、実務での権限も無い。

しばらくこの給料で頑張って機械エンジニアとしての経験と社内での足場を築こう。


ナムワーンは靴下製造工場のバンコク事務所に通訳兼事務員として就職が決定。
給料は10,000バーツであった。

二人ともバンコク市内に就職先が決まったので、ペップリー通りのアパートで同居することにした。

卒業すれば少し距離を置こうと思っていたが、先日のパイずり+顔射が良すぎて病みつきになってしまった。
しばらくはナムワーンが必要だ。

違うおっぱいを揉みたくなったらマッサージパーラーに行けば良いし。




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