帰国したタイの変な日本人

バービアを愛した中年デブの元タイ沈没者がタイを想ってタイを舞台にした小説のようなものを書いてます。

腹上死して生まれ変わってタイ人に28話

生産機械メーカーのタイ法人に勤務するユウイチは泥酔しながらも若いゴーゴー嬢をホテルに連れ込み行為の最中に突然死してしまう。

死んだはずのユウイチは目覚めたとき、タイ人中学生の【アット】になっていた。

第1話はこちらから
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第28話 バンコクでのアルバイト





コンケン大学に入学して4ヵ月が経過し、もうすぐ前期日程が終了する。

これから後期日程が始まるまで1か月間の休み。
授業料後払いの待遇を維持するために一定の成績をクリアしなければならない関係上、勉強に専念するため授業のある期間中のアルバイトはしなかった。

この休み期間中はアルバイトをして生活費をしっかり稼がなければならない。




コンケン付近でアルバイトが出来れば良いのだが、田舎のコンケンに通訳が必要な日本人が訪問するのは稀。
観光会社に登録しても通訳の仕事はほとんど無い。

今回はバンコクでアルバイト先を探すことにした。




日本から帰国した際にバンコクで購入した日本語新聞のバンコク週報に広告を出している日系企業にアルバイトが無いか片っ端から電話をかけて聞いてみた。

ほとんどの会社ではアルバイトを募集していなかったが、1社だけ日系の運送会社でアルバイトで雇っても良いという回答が得られた。



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休みの前にバンコクに出向いて面接を受ける。
俺の面接の対応をした日本人は俺の日本語能力と発音の正確さに非常に驚かれ、当初予定されていた翻訳および日本人スタッフの通訳に加えて、外部より依頼された通訳などの仕事も何度か任される
ことになった。


バンコク滞在中の1ヵ月は親戚が住んでいるラチャダーのボロいアパートに居候しつつ働く。
俺がバンコクでアルバイトすることは両親に知られているためアルバイト代からある程度仕送りしなければならない。


運送会社での日給300バーツ。
たまに外部より依頼されて1日通訳として派遣された場合の日給は600バーツであった。


今でこそ最低給料は日給300バーツだが、1990年代前半は1バーツ5円であり、通貨危機の前の物価水準は2018年に比べて半分以下だ。

日給300バーツというのは一般従業員の日給の3倍に相当する。

コンケンで飲食店などでアルバイトしても時給10バーツと鼻くそほどしかもらえない事を考えると条件はとても良いと思う。


1か月間頑張って働こう。



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肌が黒く、いかにも田舎の若いタイ人といった風貌の俺があまりにも流暢な日本語を話すので各部署で驚かれた。

大分の高校に通っていなかったら明らかに異常視されたであろう。



俺が働いた日系の運送会社は本業は日本の新聞や雑誌のバンコク市内配送だったが、日系企業向けの何でも屋的な役割をしており、通訳派遣や翻訳、不動産契約や引っ越しなども請け負っている。

俺は社内での日本人スタッフのための通訳に加え、書類の翻訳などを主に行った。

2日ほど通訳者として派遣されたバンコクの大手日系商社では気に入られたようで「大学卒業後は是非入社してほしい」と勧誘されたほどだ。



今回の休みは1か月間と短かったため、食費や交通費など除いて最終的に手元に残ったのは6000バーツであった。

貯金を出来るだけ使わないためにも後期終了後の3か月間の休みもバンコクに来て働かなければならない。



稼いだ6000バーツのうち2000バーツを実家に送金したので残りは4000バーツ。

ナムワーンの為にバンコクでお菓子、辞書や専門書を買うと残りは2000バーツ。
しばらくは貯金を切り崩す生活が続く。

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