帰国したタイの変な日本人

バービアを愛した中年デブの元タイ沈没者がタイを想ってタイを舞台にした小説のようなものを書いてます。

腹上死して生まれ変わってタイ人に42話

生産機械メーカーのタイ法人に勤務するユウイチは泥酔しながらも若いゴーゴー嬢をホテルに連れ込み行為の最中に突然死してしまう。

死んだはずのユウイチは目覚めたとき、タイ人中学生の【アット】になっていた。

第1話はこちらから
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第42話 超円高 



1995年の2月になった。
経済新聞を見ると、日本円は1ドル100円台を割って90円台後半で円高方向に推移している。

俺の前世の記憶では、大学2年の春休みに初めて行った海外旅行である韓国に行った時の為替レートが1ドル80円台だったため海外ブランドが非常に割安だった記憶がある。
来月にはさらに円高が進行するはずだ。


俺は前世の記憶から1995年4月をピークとする超円高状態が発生することを知っていたので日本に留学した時のアルバイトで得たお金や、競馬で増やしたお金をタイに持って帰っていない。

日本で稼いだお金をそのまま日本で定期預金として銀行に預けて1995年4月の直前にタイに持ち帰ってバーツに両替するためだ。


この時点でバーツは対ドル固定レート(ドルペック制)を採用していたので円高ドル安=円高バーツ安となり、円がドルに対して最高値の時点で円をバーツに両替すればよい。


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今回の大学の長期休み中のバンコクの日系運送会社でのアルバイトを3月半ばまでに終わらせ、3月中に日本へ行き定期預金を解約してタイに持ち帰る。
その後円高の状況を見つつ1ドル80円に出来るだけ近いタイミングでバーツに両替する予定だ。


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タニヤでカラオケ嬢として働くナムワーンと一緒にバンコクに向かい、前回と同じくラップラオにあるアパートに入った。

日系運送会社でいつものように通訳や翻訳の仕事をしつつ今回は早めに日本行きのビザや航空券を手配する。

前回はソンクラーン期間中なので直行便が無く、香港経由でしかも割高なチケットを買う羽目になったが、今回の日本行きは3月15日から3月30日までの2週間としたので問題なくANAの福岡直行便のチケットを購入出来た。


今回もナムワーンにはタイ人実業家と日本への同行通訳だと嘘を言ってひとりで不安だと言うナムワーンを置いて日本に向かった。

ナムワーンには俺が日本に定期預金があることは当然秘密にしている。


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3月15日。
福岡空港に着くとすぐにバスで別府にある以前働いていた中華料理店に向かい、2週間しっかり住み込みウエイターとしての仕事がスタートした。

中華料理店のオヤジと奥さんは毎年のようにやってくる俺に会うのが楽しみなようで、仕事が終わると毎晩遅くまでいろんな話をした。

別府青山高校に留学していた時代の友人や先生を中華料理屋に呼んで売り上げ協力をしてもらいつつ当時の話で盛り上がった。

楽しい2週間のアルバイト生活も終わりに近づくころに今回の訪日目的であった銀行に行って定期預金を解約し預金をすべて引き出した。

残高は利子を合わせて146万円だった。2週間の中華料理店での違法就労アルバイトで稼いだ8万円を合わせて154万円となった。


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2週間お世話になった中華料理店のオヤジに「次に来るときは彼女と一緒に来るよ」と別れを告げて日本を旅立つ。

今のところ別府に戻ってくる予定は無いが、純粋な旅行で日本に来れるようになったら絶対にここに来ようと誓った。



これから円が下がるからドル預金した方が良いとオヤジに伝えたが・・・オヤジが信用したかどうかは不明だ。



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バンコクに戻り、アルバイトをしつつ毎日為替レートを見守った。
円高の頂点が1ドル何円だったか正確には覚えていない。70円台には突入しなかったと思うので81円ぐらいであろうか。

新聞で1ドル81円台になった時点でタニヤの両替屋に行き日本から持ち帰った日本円150万円を両替した。

455,000バーツになった。(1バーツ当たり3.3円のレート)


1990年代は1バーツが4.8-4.5円で推移していたので、当時のレートで両替した場合に比べて40%以上お得であった。


それまでの貯金やアルバイト代を合わせると資産は50万バーツに到達した。



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お金が一気に増えたので遊びたいところだが2年後のバーツ危機でバーツが暴落する前にドルを買って暴落後にバーツに戻せば俺の記憶が正しければ資産は2倍になるはずだ。

2年後に倍に増やす元手が多ければ多いほどもうかるため将来に備えて引き続き節約生活を続ける。



ちなみにナムワーンは今回のタニヤ出稼ぎの2か月半で3万バーツ近く稼いだそうだ。


二人とも目標金額以上稼いでお金に余裕が出来たため、今回はソンクラーン直前でアルバイトを終了し、2年振りにナムワーンは実家のカラシンへ、俺も実家のあるロイエットに帰ることにした。






第1話はこちらから