帰国したタイの変な日本人

バービアを愛した中年デブの元タイ沈没者がタイを想ってタイを舞台にした小説のようなものを書いてます。

腹上死したら生まれ変わってタイ人に 12話

生産機械メーカーのタイ法人に勤務するユウイチは泥酔しながらも若いゴーゴー嬢をホテルに連れ込み行為の最中に突然死してしまう。

死んだはずのユウイチは目覚めたとき、タイ人中学生の【アット】になっていた。


■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
 


第12話 アットの寮生活

 
 
1990年5月。
ロイエットの中学校からコンケンの学校に編入したためロイエットからの通学は不可能であったアットの寮生活が始まった。

アットが入寮したのは学校の敷地内にある2階建ての細長い建物が4棟並んだ寮だった。
建物の中は40人が寝起きするいくつかの大部屋に仕切られており、その大部屋の中にはパイプ製の2段ベットが20セット並んでいる。

まるで軍隊の宿舎のような寮。プライベートの空間はベットの上だけ。
 

 


ベット以外には備え付けの鋼製ロッカーと勉強机しかない。
当然風呂・トイレは共用のタコ部屋の家賃は1か月200バーツだった。
 
 

寮には専用の食堂があるが1食10バーツでぶっかけご飯かクィッティアオなどが食べられる。
 
10バーツと言っても現在は1990年。
バーツ危機の前なので1バーツ5円の時代だから50円。
タイの東北部の物価水準から今の日本の物価に換算すると300円相当だろう。

ちなみにこの時の10バーツは硬貨ではなく札である。

 



アットのような田舎から出てきた庶民には10バーツすらも節約しなければならないので実家から持ってきた大量のもち米を焚いて自炊する。


おかずは友人たちと交代で食材や調理。


5人のグループなら5日毎に当番となり5人分の朝・昼・晩のおかずの食材を提供し、調理してみんなで食べる。


朝に多めのおかずを作ってその残りを弁当箱に入れて学校で昼ごはんとして食べる。
夜にはまた別におかずを調理してシェアする。





タイ人に生まれ変わって以来、毎日もち米ばかり。
こんな食生活を2年近く続けているアットは日本料理が恋しいが、当時のコンケンには日本料理店は無い。


もう日本料理はあきらめているが、日々の生活を充実させるためには何とかしてお金を稼がなければならない。



コンケンの街で高校生が出来るアルバイトは限られているので日本語を利用してお金を稼げないかユミ先生に相談してみた。
 
 

『日本語を使って仕事をするにも日本語力を証明する資格が必要ですよ。
日本語能力検定試験がコンケンでも年に2回実施しています。
アット君も受験してはどうですか? 3級なら合格できると思います』
 
 
『それなら2級を受験しようと思います。』


『アット君は発音が日本人かと思うほど良いけど2級の漢字の読み書きは難しいですよ』


『小学校の漢字ならだいたい読み書き出来ます。 もし僕が2級に合格したら僕と二人っきりでデートしてください!』


『合格できるならデートぐらいいくらでもしてあげますよ!
でも最初は3級の方が良いと思いますよ』


『ユミ先生!約束ですよデート!』
 
 

元々日本人のアットにとって日本語検定2級などチョロい。
いきなり1級だとあまりにも不自然なのでとりあえず2級。

来年にでも1級の試験を受けよう。



日本語能力検定2級に合格すると日本語通訳者として仕事を得ることが出来る。
3級でも通訳として雇われている場合も多い。
1級に合格するのはほとんど日本留学経験者で、当時でも貴重な存在として一流企業に高給で雇われている。

 

全く勉強しないで通訳者として通用する2級に合格するのはあまりにも不自然なのでユミ先生にお願いして日本語能力検定2級の問題集を借りてきた。

日本語検定2級の問題など【元日本人】の俺にしてみれば小学1-2年生レベル。

楽勝だ。


とりあえず9月の試験に向けてデートのために勉強頑張ります!
とユミ先生に言っておいた。