【シパタイ風】タイ沈没史第1話 社会不適合な男はタイをめざす
【シパタイ風】社会不適合な男はタイをめざす タイ沈没史第1話
公開日 2015年1月1日 タイ自分史 シパタイブログ風自分史 シパタイブログ閉鎖 バンコク留学生日記 ケイイチ タイでOL イトゥー 残念なハーフ クイーンズパークプラザのバービア街 バービア嬢大好き アソークの空き地のバービア街 ソイゼロが懐かしい ウドンタニーの置屋 飲み放題による価格破壊とタニヤ衰退 ゴーゴーバー全盛期
以下の記事は2003年10月ごろの回想録です。
タイ沈没1-10日目
プロローグ
2003年ごろ。当時俺の一番の目標はタイに住むことだった。
本屋に行ってはタイに関わる本を片っ端から購入して読んだ。
休みの日は朝から晩までタイの音楽VCDを見て過ごした。
タイカラオケの歌詞をノートにカタカナで書き、それを見ながら歌う練習をした。
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学生時代から社会不適合者であった俺は社会に出ても会社内での人付き合いが苦手で、職場でのコミュニケーションはうまくいかなかった。
運よく上場企業に就職できたものの、たった十数年で会社を辞めることになった。
めったに行くことの無い東京本社で退職手続きを終えた後、そのまま逃げるように会社を飛び出した。
会社を辞めた後は新しい就職先を探す気になれず、建築現場の派遣労働者として毎朝工事現場で建設資材を運ぶ肉体労働をしながら、夜になると実家に引きこもった。
すでに俺は30代になり、建材を担いで階段を上り下りする毎日は体にキツかった。
仕事上がりに街の公衆浴場でのんびり湯船に浸かる以外は何の楽しみも無い堕落した不健康な毎日だった。
そんな堕落しきった実家での引きこもり生活を2ヶ月ほどつづけたところで、ようやく当初の目的であったタイに移住することとなった。
引きこもり男は心機一転タイで仕事を探す。
俺の人生の目的は「タイに住むこと」であったが「住む」だけでは生きていけない。タイで生活の基盤をつくり長期的にタイで生活するために仕事を探さなければならない。
タイに着いてすぐ1日750バーツの安いホテルに泊まりながら職探しを始めることにした。
職探しのためバンコクで発行されている日本語フリーペーパーの求人・求職欄にある人材紹介会社の広告を見つけたので早速その人材紹介会社に連絡してみた。
アポを取った人材紹介会社に出向いて早速求職者登録をしてもらう。
TOEICのような英語のテストを受け、人材紹介会社の書式で英語と日本語で職歴を記載するのはなかなか面倒だった。
その後タイ人によるタイ語会話テストを経て日本人による面接が行われる。
一連の登録作業に2時間以上かかり、なかなか疲れる作業だ。
社会不適合男は人材紹介会社に厳しい指摘を受ける。
それにしても人材紹介会社の日本人面接官はどうして俺に偉そうに説教するのだろうか。
挨拶だってきちんとできる(たぶん)。
人材紹介会社の面接官:
君の希望給料は高すぎる。どこの馬の骨ともわからない輩にどこもこんな給料を出さない。
俺:
馬の骨ですみません。それではいくらぐらいが妥当なのでしょう?
面接官:
希望給料を6万バーツに書き直しなさい。
それと君の将来の夢は独立起業とあるが、普通は採用担当者がいつ辞めるか分からない独立したい人間を雇わない。
自分で心の中で決める分には良いが履歴書には書かないでほしい。少しは空気を読みなさい。
俺:
正直に答えてすみませんでした。面接では独立するなどとは決して言いません。
人材紹介会社に紹介料を払う企業様のお気に召すように、無能な求職者を躾ける使命が人材紹介会社にはあるのだろう。
もっとやさしく言ってもいいとは思うが。
登録から数日後、登録したそれぞれの人材紹介会社から1-2社の紹介があった。
比較的登録時に対応が良かった人材会社の案件を優先して面接に向かった。
最初に面接した会社は、はっきり言って小規模で怪しい会社ではあったが、希望給料そのままで雇ってくれるというのだから何も考えずその場で入社に合意した。
明日からタイの社会人生活が始まる。