帰国したタイの変な日本人

バービアを愛した中年デブの元タイ沈没者がタイを想ってタイを舞台にした小説のようなものを書いてます。

腹上死して生まれ変わってタイ人に71話

機械製造会社の駐在員ユウイチは泥酔しながらも若いゴーゴー嬢をホテルに連れ込み行為の最中に突然死してしまう。

死んだはずのユウイチは目覚めたとき、タイ人中学生の【アット】になっていた。
コンケン大学を卒業したアットは前世で勤務していた会社に入社する。
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第71話 日本研修 2
 
 
 

2001年11月。
年から始まる7日間の日本研修のメンバーが決定した。

機械グループからはパットさん(53)とオネークさん(41)であった。
海外研修といえば若手というイメージがあるが、パットさんは引退寸前。
 
当社の一般社員の定年は55歳でグループリーダー(課長相当)以上は60歳である。

二人とも役職はチーフエンジニア(主任相当)。
パットさんはグループリーダーに昇進しない限りは2年後に定年であり、今さら昇進する可能性は無いので、彼が在籍するのはあと2年である。
 
 
こんな定年間際のエンジニアが日本研修メンバーに選出されたことに上層部はどう思っているのだろうか。

これまでの功績を評価してのご褒美なら日本旅行でもプレゼントすれば良いが、何も【研修】させる必要は無いと思う。
 


もう一人の研修メンバーであるオネークさんは40代ではあるが、このオネークさんはエンジニア感が全く無い人だ。
技術的な知識は皆無に近く、パソコンも使えないが、外注業者に顔が広く交渉力が高い。

特殊な加工が必要な部品の発注や下請けに納期の短縮を迫るときに活躍している。

彼なりに機械グループに貢献しているが【研修】というものに縁のない人だ。


こんな2人を含めて合計7名は日本研修に旅立っていった。



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日本研修が終了し、皆が帰国してからしばらくして俺は村上製造部長に呼び出された。


村上部長に渡されたのはA4用紙7枚。
「Report of training at Japan」と記されたA4用紙には手書きのタイ語で記入されている。


俺は村上部長にこの文章の翻訳を依頼されたので、その日は持ち帰ってアパートで翻訳することにした。


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日本研修レポート

オネーク 機械グループ チーフエンジニア


1月16日の夜8時に空港で集合し、日本行きの飛行機に乗り込んだ。
飛行機の中ではグリーンカレーとチキンライスが機内食として配られていたのでグリーンカレーを選んだ。

朝に日本に到着してすぐに日本の本社に案内された。
それから英語で研修内容の説明を受けてから海苔のたくさん入った弁当を食べた。
午後からホテルに案内されて荷物を置いてから日本人に連れられて日本食レストランで日本料理を食べた。

翌日から工場に移動し、工場を見学する。
工場の食堂では日本の麺を食べた

<<中略>>

最終日はたくさんの日本人と一緒に日本食レストランでスキヤキを食べた後空港に向かった。
帰りの飛行機の中では日本料理の機内食で、豆ごはんを選んだ。
朝にバンコクに到着し解散した。


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研修レポートと自分で題を付けたにも関わらず、内容は食事の事ばかりだ。
初めての日本食に感銘したのなら理解できるが、味や感想は全く無く、単なる食事記録である。

これがベテランエンジニアによるレポートとは思えない内容だ。


この内容を正確に翻訳して村上部長に提出して良いものかと少し悩んだ。
しかもこの内容をそのまま翻訳することは年上のオネークさんの立場を悪くしかねない。
仕方なく自分は翻訳機械だと言い聞かせながら次のレポートの翻訳にかかった。