帰国したタイの変な日本人

バービアを愛した中年デブの元タイ沈没者がタイを想ってタイを舞台にした小説のようなものを書いてます。

シパトモのタイ起業12

【シパトモのタイ起業】

35歳にしてタイの風俗にはまってしまったシパトモは彼の妻に対してタイに長期滞在する理由を作るべくタイで起業する。
彼にとって必要なのは事業で利益をあげることではなく、ただタイに来る理由だけであった。



第11話 インターネットカフェの閉店


シーロムにオープンしたフランチャイズ1号店はBTSサラデーン駅からのスカイアクセスのあるビルの3階で好立地なのだが、高い家賃の割りに売り上げが上がらず1年経過してもずっと赤字続きであった。

本店であるラチャテウィー店も同様に赤字で、2号店のオーナーとシパトモは打開策を練るために2店舗合同の再建計画を打ち合わせるためにタイで会合をした翌日、反タクシン派による空港占拠事件が発生した。2008年11月のことである。


空港占拠のため日本に戻る予定の便が飛ばず、日本で重要な予定のある2号店オーナーは陸路でタイ南部のハジャイ空港からシンガポール経由で早々に帰国してしまった。

シパトモも1週間滞在延長した後、チョンブリのウタパオ空港から成田への直行便でなんとか帰国できたが、お店の再建どころでは無くなっていた。

幸か不幸か、空港閉鎖中の1ヶ月間はインターネット店が満員状態で過去最高益をあげた。
店内はほぼ欧米人の客で、空港再開の目処や帰国方法などの情報収集や暇つぶしなどの客である。

2009年1月中には足止めされていた外国人がほぼ帰国したころには客が激減してしまった。
ラチャテウィー店の主力顧客はアジアホテル宿泊の外国人だったので空港閉鎖の影響で外国人が激減した結果だった。


シーロム店も同じく外国人観光客が主力だったため、2009年4月までの3ヶ月間の売り上げは通常の1/3に落ち込んでしまった。
ヤマフジくんから会社の残金が残り少なくなったとの要請を受け、シパトモは3ヶ月ぶりにようやく混乱が収まったバンコクで1号店・2号店の関係者が集まって会議が行われた。


会議の結果、タクシン派の反抗などが噂され、混乱が引き続き続くと思われるバンコクでの外国人向けネットカフェ店の営業は無理だとの結論により2店舗はほぼ同時に閉店が決定した。


シパトモはインターネットカフェが閉店すればタイに遊びに来る口実がなくなってしまう為、何とか別の場所でタイ人向けにネットカフェを再開することを模索することとなった。