帰国したタイの変な日本人

バービアを愛した中年デブの元タイ沈没者がタイを想ってタイを舞台にした小説のようなものを書いてます。

残念な(日タイ)ハーフ

日本人が多く住むタイでは日ータイのハーフは多い。
日ータイのハーフには見た目や性格が日本人寄りのハーフもいればタイ人寄りもいる。
優秀なハーフもいるがそうでないのもいるが、今回は残念な男性日タイハーフの話。



生い立ち
日本人駐在員の父とタイ人女性(元工場作業員)の母の間でバンコクにてそのハーフ(アントニー君:仮名)は生まれる。
日本人の父親はタイ人妻とアントニー君を大切に養い、バンコクでは日本人向け幼稚園、日本人学校(小学・中学)を卒業した。
バンコク日本人学校を卒業後は母とともに日本に移住し日本の高校に進学したのだが、まもなくいじめにより高校を中退し父親のいるバンコクに戻ってきた。

父の友人の経営するバンコク近郊の自動車アクセサリー製造工場にて日本人社長のアシスタント業務を1年ほどするが続かずバンコクニートを送る18歳の青年である。


残念ポイント
タイ語が出来ない
顔立ちおよび色の黒さはタイ人寄りで見た目はほとんどタイ人だが、タイ語は片言でようやく日常会話が成立するレベル。
発音は母親の影響からか悪くないが、語彙が圧倒的に少なく文法も不正確なので見た目とタイ語力の違和感がむごい。

タイで生まれて15歳まで育ったのに、タイ語を避けて生きてきたようなほどタイ語ができない。
タイに来て1年間一生懸命タイ語を勉強した日本人より劣るタイ語力である。


★その割に低い日本語レベル
タイ語が出来ないのは日本人学校で日本語の授業を受け、日本人の友達と遊んでいたからとのこと。
確かに日本語でふつうに会話が出来る。

しかしこいつのメールを読んでも意味不明な部分が多い。
漢字も異常に少ない。
日本に留学経験のあるタイ人でもこいつより日本語国語力がタイ人も多いと思う。

当然ビジネス文書に関するスキルは悲しいほど低く、父親の知り合いの工場に居られなくなったのはそういった日本語能力の低さが原因だと思う。


★低い日本人的マナーレベル
日本でほとんど過ごしたことが無いから仕方が無いのだろうが、
・挨拶が出来ない
・時間にルーズ
・謝れない
といった小学生のレベル。



どうしてこんなに残念になったか
ここからはすべて想像だが、日本人として育てたかった父は仕事が忙しく、母親に教育をまる投げした。
しかし母親は元工場作業員なので母親の教育水準が低く、教育出来ない上に、子供をひたすら甘やかし続けて育てた。
せめてタイ語が堪能であればマシだったのだが、日本語の少し出来る母親が「頑張って」子供を日本語を使用して育てた結果、タイ語が出来ない子供になった。

さらに能力に関して問題になるたびにハーフであることを言い訳にしてきた。


タイ語が出来ないのはハーフだから仕方がない
日本語が出来ないのはハーフだから仕方がない


彼に出会った(といってもその後の付き合いは無い)ことがきっかけで、後に俺は子供を日本できちんと育てるために日本に移住することになる。



アントニーさんが残念なハーフというわけではなく、彼の風貌がアントニーさんに似てたから

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